退屈から抜け出すための映画

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映画『恋する人魚たち』ウィノナ・ライダーとクリスティーナ・リッチの姉妹が可愛いです。

映画『恋する人魚たち』

映画『恋する人魚たち』は1990年公開のアメリカ映画。原作はアメリカ人のパティ・ダンが1986年に出版した小説『マーメイド』である。1960年代を舞台に、恋多き母親に振り回される娘2人を長女の目線から描いている。長女役のウィノナ・ライダーは本作でゴールデングローブ賞助演女優賞にノミネートナショナル・ボード・オブ・レビューでは助演女優賞を受賞した。

演技の素晴らしさはもちろんのことだが、ウィノナ・ライダーがとにかく可愛いという事が大きく魅力に貢献している。彼女の出演作の中でももっとも可愛さ溢れる作品のひとつだと私は思っている(その”もっとも”はもちろん他にも数作品ある)。しかも、妹役が当時まだ9歳のクリスティーナ・リッチクリスティーナ・リッチは本作で映画デビューを飾ったのだけれど、デビュー作とは思えないほどの堂々とした、ちょっとふてぶてしいくらいの演技を披露していてさすが。この2人が姉妹役というだけでも観るに値する。配役に関しては色々とゴタゴタがあったようだけど、それはまた後ほど。

 

シングルマザーのレイチェル(シェール)は男と別れる度に娘2人を連れて引越しを繰り返していた。そんな母親にうんざり気味の長女シャーロット(ウィノナ・ライダー)はカトリックに心酔しており修道女になることを夢見ている。次女のケイト(クリスティーナ・リッチ)は泳ぐことが大好きで、英仏海峡横断が目標。引越し先の新居で管理人のジョー(マイケル・シューフリング)に出会ったシャーロットは運命を感じるが、母の意地悪な行動に苛立ちを隠せない。しかし、ジョーのことで頭がいっぱいなシャーロットは、前のめりな感情を抑えつつもさりげなく彼にアタックする。

映画『恋する人魚たち』

また、レイチェルも靴屋の店主のルー(ボブ・ホスキンス)と親密な関係になる。人のいいルーは娘たちとも仲良くなり家族に溶け込むが、娘を取られたような疎外感を感じたレイチェルは彼を責めてしまう。パーティから帰った母がジョーにキスした瞬間を目撃してしまったシャーロットは、彼を取り戻すために大人びた格好で着飾り、修道院の鐘楼で寝泊まりをしているジョーのもとへ迫る。ジョーと会っている間、妹のケイシーは修道院の前の川で石を拾っていた。シャーロットとジョーがイチャついているまさにその時、ケイシーが川に落ちて溺れてしまい・・・。

母親が一般的な母親像から逸脱していた場合、子供はどう育つのだろう。シェールが演じるレイチェルという二人の娘を抱えるシングルマザーは、家事は苦手だし勝手で自由奔放。子供たちに対して親というよりも対女として接するようなタイプで、その態度は時に冷たく意地悪だ。男と別れる度に18回も引越しを繰り返してきたという異常行動も、子供たちはただ従うしかない。そんな育てられ方をしたらグレるのがお決まりコースなのだけど、この映画ではちょっと違う。

 

シャーロットはユダヤ教の母に背いてかカトリックにどハマりし、神にすがるようになってしまった。面白いのが、聖書からの影響を受けすぎてジョーとキスしただけで本気で妊娠したと思い込んでしまい、産婦人科にまで行って大恥をかいてしまうというシークエンス。15歳という多感な時期ということもあり、恋愛にも興味津々だしあれこれ頭の中で考えすぎる傾向があるんだけど、やっぱり同じ場所に長居することがないせいで同年代の友達がいないことがひとつの原因なんだろうと思う。顔も覚えていない父親への憧れから歳上の男性に惹かれてしまうことも分かる。乙女心の微妙な変化をウィノナ・ライダーがコミカルさも交えながら演じているのがとても魅力的だった。実は、当初シャーロットの役はエミリー・ロイドが担当する予定だったが、シェールが「髪の色が自分の娘のように見えない」と言ったことでウィノナ・ライダーに変更されたという経緯がある。しかもエミリー・ロードがそのことを訴えて裁判沙汰にまで発展した。結局ロイドは、435,000ドルと映画の純利益の2.5%を受け取ることで合意したようだが、残念ながらその後彼女はパッとした活躍は見られない。

子供の気持ちもつゆ知らず、いつまでもフェロモンを振りまきながら獲物を狙い続ける母親を演じたシェールだが、実はかつてシェール自身がこの子供側の立場だったということも面白い。シェールの両親は彼女が10ヶ月の時に離婚。母親の再婚・離婚に伴い転居を繰り返していたという。まさにシェールの伝記を映画化したのでは?と思ってしまうくらい似た境遇を経験しているのだ。それゆえ人一倍この作品への思い入れは強かったのだろう。何かと揉めることも多かったようだ。

ひとり何にも影響を受けておらず早くも自分の道を突っ走っている妹のケイトは、この家族のマスコットキャラクターのよう。子供とは思えないませた言葉遣いや、かと思えば子供らしいおちゃめなイタズラが可愛くて思わず笑ってしまう。「わたしが死んだら海にまいて。クジラのお腹で生きるから」という台詞はまさに彼女の大人びた部分と子供らしい部分がうまく反映されていると思う。わたしはこの台詞を聞いた時かなりキュンとした。

映画『恋する人魚たち』

1960年代のアメリカ(マサチューセッツ州)の景色も観ていて楽しく、いまの日本では見ることがないようなクラシックな車もかわいい(なぜいまの日本にはダサい車しかないのだろう)。シャーロットがデートする森林に覆われた川の景色もおとぎ話に迷い込んだような美しさだったし、家の中のインテリアも女性らしいかわいさが溢れていて、とにかく色合いがバツグン。淡いパステルカラーを基調にしたレトロな雰囲気が観ていてたまらない

監督は、スティーブン・スピルバーグ総指揮のドタバタコメディ『マネー・ピット』などで監督を務めているリチャード・ベンジャミン。しかし、実はこちらも交代劇があった。最初に監督を予定していたのは今作がアメリカ映画デビューとなるはずだった『ギルバート・グレイプ』のラッセ・ハルストレム。しかし、シェールと何度も衝突を繰り返し、去ることになる。さらに次に予定されたのは『リトルショップ・オブ・ホラーズ』のフランク・オズだ。しかし、シェールはオズとも揉めたという・・・。シェールは自分の生い立ちと重ねられる部分が多い作品ということもあり、思い入れが強すぎたのだろうか。フランク・オズ版はちょっと観てみたかったなー。

ところで、タイトルの『恋する人魚たち(Marmaids)』であるが、この作品では視覚的に分かりやすく”人魚”が提示される。例えば泳ぐのが大好きなケイトは存在自体が人魚のようだし、ハロウィンで金魚の仮装をしていたのも可愛かった。娘たちとルーが改装した海底をイメージした部屋も人魚が住む家のようだし、母のレイチェルも仮装パーティーに人魚の格好で参加する。

映画『恋する人魚たち』

でもそれらの目に見える”人魚”の他に、目に見えない意味の”人魚”がこの映画に隠されているんではないかと私は思う。人魚が出てくる映画として代表的な『リトル・マーメイド』や『スプラッシュ』は、めでたしめでたしのハッピーエンドで終わる。けれど、この映画は非常にあいまいだ。Wikipediaによると、人魚とは「不吉な象徴とされることが多く、たいていの文学作品では、人魚は最後まで幸せなままでいることはない」という。叶わぬ恋、報われない恋。これは付き合っては別れを繰り返し続ける母親その人を表しているのではないだろうか。さらに初恋を経験した長女シャーロットもきっと同じように人魚なのだろう。ということは、叶わなかった・・・ということになるのだけど。そういうわけで3人の人魚たちを示す『Marmaids(人魚たち)』というタイトルは「なるほど!」と思わされるのだけど、邦題の『恋する人魚たち』だとケイトだけ仲間外れになってしまうなぁ。

そんな難しい母娘関係や初恋、家族の事故といったあらゆる問題にぶち当り、1人の少女が精神的に成長していく過程を描いたこの作品。なんといってもこの映画は結局ウィノナ・ライダークリスティーナ・リッチが可愛い。この一言に尽きる。親子3人でキッチンでダンスしながら食事の支度をするエンディングはめちゃくちゃかわいいので必見。残念ながらDVDが廃盤・・・なので、是非中古を手に入れるかレンタルなどでご覧下さい。

 

※使用した映画本編画像は全てIMDbから拝借させていただきました。