退屈から抜け出すための映画

観た映画の感想をだらだらと書いているだけのブログです。

映画「追想」(ネタバレあり)

「追想」

追想

作品について

公開:2017年/イギリス

原題:On Chesil Beach

原作:イアン・マキューアン『初夜 (新潮クレスト・ブックス)

監督:ドミニク・クック

出演:シアーシャ・ローナン、ビリー・ハウル、エミリー・ワトソン、アンヌ=マリー・ダフ

あらすじ

歴史学者を目指すエドワード(ビリー・ハウル)とバイオリニストのフローレンス(シアーシャ・ローナン)は結婚し、ハネムーンへと旅立った。新婚ホヤホヤの2人だが何故か幸せそうではなく、緊迫した雰囲気。この新婚旅行で初夜を迎えるふたりは結ばれるはずだったが、ことが進むにつれ、フローレンスが拒絶。逃げるように部屋から去っていく。彼女を追うエドワードだが、フローレンスから驚くべき言葉を投げかけられ頭に来てしまう。2人は分かり合えないまま、結婚時間わずか6時間で破局を迎えることになるのだった。

 

感想など

水曜日に「追想」と「スターリンの葬送狂騒曲 」の2本を日比谷シャンテにて鑑賞。「スターリンの葬送狂騒曲 」はついうとうとしてしまい、ところどころ記憶がない。そんな状態なのでブログに書けないという・・・やっちまったなぁ。 あと、もっと歴史を勉強して頭に入れてから観たほうがいいかもな、とも思いました。

シアーシャちゃん好きとしてはチェックしないと!ということで「追想」観てきました。監督は、舞台演出家や脚本家として高く評価されており、長編映画は今回初となるドミニク・クック。シアーシャちゃん主演作では前作の「レディ・バード」が個人的にどツボすぎて大好きだったので、タイプがまったく違うこの映画には正直あまり期待していなかったんです。しかし、観に行って良かった!ラストの展開には涙涙でした

結婚式を終え、ハネムーンでチェジル・ビーチ沿いにあるホテルにやってきた若きカップル2人。普通なら幸せの絶頂で、箸が転んでもおかしい状態なはずなのに、2人の間にはただならぬ緊張感と距離感を感じる。会話もぎこちなく、無言が気まずい。ある意味この張り詰めた感覚はホラー映画を見ている時に近い。こんな状態でこの2人はなぜ結婚したんだろう?と見てるこっちは疑問に思い始める。彼らはこの気まずさを追い払うように度々沈黙を破りながら、これまでの出来事について話し始める。

原作と脚本を手がけた、イアン・マキューアン

イアン・マキューアンが2007年に発表し、ブッカー賞最終候補作のひとつにも選ばれた『初夜』が原作となっているこの作品。主演のシアーシャちゃんは、2007年にもイアン・マキューアン原作の映画「つぐない」に出演しています。私はおそらく「つぐない」は未見なのですが(一瞬「プライドと偏見」とごっちゃになってよくわからなくなりました。)、シアーシャちゃんファンとしてはチェックしておかなきゃいけなかったですね。しまった!イアン・マキューアンは、かつてタイムズ紙の「1945年以降のイギリス人作家ベスト50人」や、デイリー・テレグラフ紙の「イギリス文化にもっとも影響力のあるベスト100人」にもランクインしているすごい人。本作では脚本も手がけており、その中には「人生を吟味しよう」という強いメッセージが込められています。登場人物のすれ違いを吟味してほしい、と。その瞬間瞬間を吟味しながら大切に考え、誰か相手がいるならばお互いもっと歩み寄って深く知り合ってほしいということなのかな、と私は感じました。

 

対照的なフローレンスとエドワード

フローレンスは、実業家として成功を収めた父と、過保護な大学教師の母を持つ裕福で厳格な家庭で育った。家族は家で食事をする時でもきちんと正装していて、特に母親のばっちり盛ったヘアスタイルと、これ見よがしなパールのネックレスには「これからパーティーですか?」と聞かざるを得ないようなおかしさもある。フローレンスはバイオリニストとして成功することを目指しており、弦楽四重奏団を作ってリーダーシップを取りチームをまとめている。対してエドワードは、事故により脳に損傷を負い短期記憶障害で苦しむアーティストの母親と教師の父親を持ち、整頓する人がいない状態の家の中はひどく散らかっている。歴史学者を目指す彼はインテリへの憧れも見られるが、どこか田舎者っぽい素朴な雰囲気。癇癪持ちで時に暴力を振るうところがあるが、ジェームズ・ディーンのような傷つきやすい若者特有の繊細さからの衝動のように感じられる。

回想シーンの中のふたりはとても仲が良い、ごくごく普通のカップルだった。さらにエドワードの心配の種でもあった母とも積極的に交流し、家庭の雰囲気を一気に明るくしてくれたフローレンス。そんな彼女に妹たちも好意を寄せる。その幸せな光景を見て、誰も見ていないところでひとり泣きじゃくるエドワードの姿には胸が締め付けられるような気持ちになります。2つの意味で。1つは、今まで存在を無視されていたかのような孤独な青年エドワードにやっと光が射し込んだことへの「よかったな〜」という気持ち。もう1つは、そんな光がやがて雲に隠れて見えなくなってしまう未来を知っているからこその気の毒な気持ち。不幸な結末を知っていると、幸せなシーンが幸せであればあるほどに見ていて辛くなります・・・

性の解放前の時代

フローレンスの表情に不安が見え始めたのは、結婚を目前に控えた頃。ファッションを見てもわかるように、舞台となる1962年という時代はまだまだ保守的な空気に包まれていた。当時はまだ性の解放が訪れておらず、結婚をしてやっと初夜を迎えたのだという。この後イギリスに起こる出来事としては、1962年の10月にビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしロックが台頭し始め、1963年には性の解放が訪れる。1963年を境目に世の中の状況が激変したという。そんな保守的な時代が終わる直前に不幸な結末を迎えてしまった2人は、時代の犠牲者とも言えるのかもしれない。性に関する本を読むフローレンスはいたって真面目だが、どこかおかしみがある。しかも、本を読んでいるなか母親が部屋に入ってきても慌てる様子もなく本を隠しもしない!妹には音読までしてあげていた(笑)恥ずかしいという気持ちより、不快感の方が強いからなのか。あくまでも勉強として読んでいるからなのか。正直よく分からない!このシーンのフローレンスの態度には驚きました。

新婚旅行で処女を捧げる覚悟を決めたフローレンスはエドワードを受け入れ始めるが、2人の仕草はとてもぎこちない。そのぎこちなさはちょっとコミカルなおかしさもある。フローレンスのセックスに対する嫌悪感の原因となる回想が一瞬だけ挟まれるが、詳細はまったく語られることがない。しかし、この一瞬の回想によってフローレンスが抱えている心のトラウマや、ずっと閉じ込めてきた記憶が甦ってしまった恐怖感とパニックが伝わる。この演出は見事だなと思いました。

 

歩み寄れないふたり

彼らは結局すれ違ったまま、分かり合えず、というか、分かり合おうせず、口論の末終わりを迎えてしまう。ふたりが佇む海辺は、彼らの将来を案じていたかのようにどんより曇り空。それなのに、フローレンスが着ているドレスだけが海や空のように真っ青で鮮やかなのがなんとも皮肉な話。まるでこの曇り空から雲を取り除ける存在は彼女だけのように感じられる。お互いにやたらと「愛してる」という言葉を交わすものの、言えば言うほど軽く感じられて、そう思おうとしているだけなんじゃないの?と思えてくる。フローレンスは明らかに隠していることがあるけど、その秘密の根幹には絶対に触れようとしない。好きだからこそ知られたくないという気持ちもあれば、自己愛やプライドからくる守りの姿勢も感じられる。エドワードもジェームズ・ディーンのような傷つきやすい繊細な若者なので、これ以上傷つきたくないからか自分を守るためにフローレンスを拒絶してしまう。

ラ・ラ・ランドとの共通点

ところでたまたまだと思いますが、この映画と「ラ・ラ・ランド」って共通点があるなぁと思いました。例えば、男女が出逢い恋に落ちるってのはまぁどのラブストーリーでもありますが、彼女はもともと彼が好きな音楽に興味がなかったけど、彼の影響で好きになるところとか、ふたりは愛し合っていたのに、破局を迎えてしまうところ。そして時が経ち、彼女は夢を叶えて同業者の人と結婚。子供もいることが分かるが、彼の方はまだ一人身なところ。最後は「ラ・ラ・ランド」ではゴズリ(ライアン・ゴズリング)、「追想」ではシアーシャちゃんの演奏シーン、そしてそれを観客席で観るエマ・ストーン/ビリー・ハウルで終わるという展開。どちらも音楽、夢、すれ違い、別れ、そして再会がキーワード。

「追想」では、フローレンスはクラシックが好きでそれ以外のジャンルは聴かず、エドワードはブルースやロックが好きでチェック・ベリーやジョン・メイオールを聴いている。趣味嗜好もまるで異なると、よく芸能人の離婚の理由で多い「価値観の違い」という点でもすれ違いが起きそうな予感がプンプンしてくる。ハネムーン先で別れた後、ふたりは再会することがなく時が経ち、エドワードは歴史学者の夢は諦めたのかレコード店で働いている。そのレコード店に「お母さんへのプレゼントにチャック・ベリーのレコードをあげたい」というかわいいお客さんが来て、フローレンスの娘だということが分かる。「えっ。子供いるじゃん、裏切られた!嘘つき!」という私の気持ちをよそに、エドワードは「お金はいらないから」とそのレコードをプレゼント。そしてまた時が経ち、おじいさんになったエドワードはフローレンスの楽団がコンサートを行うことを知って・・・。と、ここからの展開は「だいたいこうなるんだろうな〜」と想像はついたものの、ものすごく泣けました。でもなんで「ブラボー!」って言わないんだよ! (観てもらえれば分かります!)あと、シアーシャおばあちゃんはとても可愛らしかった。

主演のシアーシャ・ローナンとビリー・ハウル

主演のシアーシャ・ローナンちゃんの内面からにじみ出た自然な演技は説得力があってすごく良かったです!それにとても可愛かった〜。でもメイクはあまりしないほうが好きだなぁ、と個人的な意見。前作の「レディ・バード」を観て「これははまり役だ!」と思いましたが、今回180度違う清楚で優秀なお嬢様役を見事に演じていてすごい。まるでレディ・バードの面影がなかった!「レディ・バード」の時はピンク、「追想」ではブルーがイメージカラーになっていて、色だけでもこれだけ印象って変わるんだな、視覚イメージって重要だなと改めて思いました。性格俳優としての実力を着実に積んでいるシアーシャちゃんにこれからも期待が高まります。

そして相手役のビリー・ハウルという俳優さん。イケメンなんだけど、素朴で繊細でちょっと残念な役を違和感なく演じていてとても良かったです。今注目のイギリス人若手俳優だそうで私はこの映画で初見でしたが、「ベロニカとの記憶」や「ダンケルク」にも出演されていて、シアーシャちゃんとはチェーホフの戯曲「The seagull」(公開前)で既に共演を果たしていたとか。これから日本でも人気が出そうですが、まだ日本のwikipediaに彼のページがありません・・・。

このふたりの組み合わせは初々しさもあって、どこかコミカルで、映画の雰囲気にもマッチしていてとても良かったな〜。

どうしようもない若者たちの哀しい結末を迎えるラブストーリーに共感

単純明解で分かりやすいハッピーエンドのラブストーリーよりも、このどうしようもない若者たちの哀しい結末を迎えるラブストーリーの方が、私はすごく共感できました。やっぱり人間対人間の関係は複雑な心理状態が絡んで、ちょっとしたボタンの掛け違いでどうにも修復できないことってあると思うんですよね。シンデレラストーリーのような階級差のあるラブストーリーは、困難を乗り越えながらも最後には結ばれてハッピーエンドで終わるのが常だけど、絶対長続きするとは思えない!と思ってしまうので、そんなモヤモヤ感を解消してくれたのがこの映画でした。そんな感じでおすすめの作品です!