退屈から抜け出すための映画

好きな映画を中心に紹介していくブログ。超不定期更新。

映画「女と男の観覧車」

「女と男の観覧車」

丸の内ピカデリー3にて鑑賞。

トイレ情報:右手(30)前方か後方が一番トイレに近いです。

座席情報:座席は背もたれが高くて寄っ掛かりやすくてなかなか良いです。

「女と男の観覧車」ケイト・ウィンスレット衣装
劇中でケイト・ウィンスレットが着用していた衣装が飾られていました。普通に古着屋さんにありそうな庶民的な服という印象。

作品について

公開:2017年/アメリ

原題:Wonder Wheel

監督・脚本:ウディ・アレン 

感想と見解

正直に言ってしまうとあんまり面白くなかったなぁという感想。初めてあんなに途中退出者を見ました。。

ウディ・アレン作品は結構好きな方なんですけど、最近の作品はあまりピンとこないものが多いですね(個人的には)。やっぱりウディ・アレンの映画はウディ・アレンウディ・アレンを演じる(一応、映画の中のペルソナとしてのウディ・アレンはプライベートのウディとは性格などあまり一致しないらしいですよ)の方が面白くて好きというのもあります。(しかし、ミッドナイト・イン・パリブルージャスミンは大好きです)あと初期のバカバカしいコメディがとても大好きです。

今作のあらすじを言うと、舞台は1950年代のコニーアイランドにある遊園地。そこでウエイトレスとして働く中年女性のギニー(ケイト・ウィンスレット)とメリーゴーラウンドの管理人をしている夫ハンプティ(ジェームズ・ベルーシ。最近「カーリー・スー」を観たら結構かっこよくてびっくり。)の元に、親子の縁を切ったはずのハンプティの娘キャロライナ(ジュノー・テンプル)がやってきて、何やら旦那やその仲間たちのヤバい情報を警察に喋っちゃったとかで追われているから助けて欲しいと懇願する。仲が悪かったはずの親子なのに父親はまんざらでもない様子で家に住まわせることになる。ギニーとハンプティは再婚同士で、ギニーにも息子がいるが放火の常習犯でギニーは頭を悩ます。ハンプティとの生活も妥協の末といった感じで現状に不満が募るばかり。そんなギニーを癒すのがライフガードをしているミッキー(ジャスティン・ティンバーレイク)。2人は不倫関係にあったが、そこにキャロライナが入ってくることによって関係が複雑になっていく・・・。といったストーリー。

 

※ここから先は、話の内容に触れているので本編をご覧になっていない方はご注意ください。

まず、いつものウディ・アレン映画定番のオシャレなジャズが流れる中オープニングが始まる。その後、あたたかみのあるオレンジや水色を基調としたレトロな色合いのビーチとその背後に見える遊園地がどーんと全体に映し出され、すっっごく可愛くて心が踊り始めたのもつかの間。ライフガードジャスティンティンバーレイクがペラペラと観客に向かって話し始める。もちろんウディ・アレンの映画だったらよくある光景なんだけど、なんだかしっくりこない。ジャスティン・ティンバーレイクはまわりの風景(ウディ・アレン的世界)に合ってなくて合成みたいに浮いて見えてしまったし、あぁやって画面に向かってしつこく話しかけてくるタイプの人間ってもっと卑屈でめんどくさいタイプの人なんじゃないかと思ってしまったわけで。それに比べてジャスティンは健康的に見えすぎる(通常それはとてもいいことなのだけど)。ジャスティンの語りがくどいだけではなく、この映画では誰かしらずーーーっと喋っている。いちいち説明なくても見てれば分かるってシーンでもずっと喋っているのでそれが多少うざったく感じられる。遊園地は本当に可愛くて観ているだけで楽しめる。だが、それも最初だけで、あとはあまり変わり映えしないシーンが多くてだんだん飽きてくることも。ちなみに「アニー・ホール」ではウディのペルソナである主人公アルヴィーが幼少期にコニー・アイランドにある遊園地のローラーコースターの下にある家に住んでいる描写がある。

ギニーは、子供もいるし生活のために仕方なくハンプティと暮らしていてそれがストレスで常にイラついていて、イラつきすぎて偏頭痛が起こり常に頭がいたいいたいと言いながら口を開けば延々と文句を言っている。聞いてるこっちも頭痛が移ってしまうくらい。先述した「アニー・ホール」のシーンで家の上にローラーコースターがある影響で日常的に騒音と揺れが起こり、そのせいで「神経症になった」と語るシーンがあるけれど、まさに今作でもその影響がみられます。昔演劇をやっていたギニーは今でもその過去への執着が残っているせいで、今の自分は「これは本当の私じゃない」と思いつつまた輝かしい日々が訪れる日を待っているかのよう。不倫相手のミッキーが唯一の彼女の心の救いで何としても彼を手放したくないと思ってるものの、キャロライナの登場によりミッキーとキャロライナの距離が近付きはじめギニーはさらにイライラ。そんな家庭環境で育ったギニーの息子は母親の気をひくためか、放火を繰り返すようになる。なぜ放火してしまうかの説明は特になく、よくわからない。日本では不倫や浮気を”火遊び”と言ったりするが、アメリカではどうなんだろう。同じような意味があるとすれば母親の不倫に気づいている証拠を示していると言えるのかもしれない。

結局、ミッキーはキャロライナに惚れてしまいギニーから離れて行っていく。そのことがきっかけで完全に壊れてしまったギニーは、「若かった頃の私に戻ればきっとミッキーがまた戻ってきてくれる!」という淡い期待からか昔の舞台衣装を引っ張り出して着飾りはじめる。しかし、40過ぎのギニーが着ると年齢を感じさせる疲れきった顔で惨めさがより際立って見えてしまって、とても痛々しい。時の流れには逆らうことができないという現実の残酷さ。いつまでも現実を受け入れられず哀れな妄想の世界で生きる元女優といったところでサンセット大通りを思い浮かべた。ここはサンセット大通りというより、『欲望という名の電車』のオマージュ的なシーンだと後から気がついた。そもそもウディ・アレンの『ブルージャスミン』はウディ・アレン『欲望という名の電車』と言える作品で、キャラクター設定やプロットはまるで同じ。きっと大きく影響を受けている作品なのであろうと思う。

 

ところでこれは私の個人的な解釈だが、ミッキーはギニーに対してもキャロライナに対しても実際には”恋”とは違う感情だったのではないかという気がした(劇中では”恋”と言っているが)。まずギニーとの出会いは、ギニーが自殺を考えて海岸を一人で歩いていた時。そしてキャロライナはギャングに追われていて殺されるかもしれないという命の危機が迫っている時。という、どちらも死を感じさせる時。ミッキーの職業はライフガードなので人の命を助けるのが仕事。だから死を感じさせる女性につい惹かれてしまうのではないかと推測してみた。2人の女性が溺れていてどちらを助けるか、といったときに選んだのがより命の危険にさらされている方であっただけなのではないのかと。とはいえウディは昔から若い女の子と年上男性の年の差恋愛を描き続けているのでそういう性といえばそれまでなんだけど・・・。

ウディの過去作品の中では、「カイロの紫のバラ」に似ているところがあるなと感じた。夫から暴力を振られたり妻として正当な扱いをしてもらえないミア・ファロー演じる主人公はレストランのウェイターをして生計を立てている。彼女の一番の楽しみは映画鑑賞で、ある時上映中の「カイロの紫のバラ」という作品に夢中になり何度も繰り返し鑑賞しているとなんとスクリーンから俳優が抜け出してくる。そしてミアの手を取り脱走。そこから2人は夢のような時間を過ごす。途中で遊園地(動いていないけど)が出てくるところも「女と男の観覧車」との共通点。ファンタジーのようだけど最後にはとても現実的な展開が待っていて、それを受け入れながらまた映画館へ通うラストがとても好き。

映画館で観た時にはあんまり面白く感じられなかったけれど、見落としている点も色々とあると思うのでもう1回見直したいなぁと思える作品であった。それに何よりウディ・アレン作品初参加のケイト・ウィンスレットが素晴らしかった。(実は「マッチポイント」の主役は最初ケイトが候補だったとか。)中年女性の焦燥感やヒステリーはいつか他人事ではなくなるかも・・・身にしみて感じられた。過去の失敗はあるけど、これからまだ新しい人生を送るためにやり直しがきくキャロラインと、もう後戻りできないと自覚し妥協しながらも淡い期待を捨てられず必死に抗うギニーの対比は見るタイミングによって感情移入する立場が変わって胸に迫るものがありそう。